- 286 名前:み [2012/05/04(金) 00:28:00]
- 何かを「してよいこと」「してはいけないこと」と決めるのが全て自分自身である場合、「しない理由」と「してはいけない理由」は隣接していて、意識の上で区別するのは難しい。
>>1がいつまでも人狼理論と平行なのはこれが理由ではないか。
外部からの法律や宗教の力を否定してしまうと当然善悪判断基準は自分で選択することになる。
他人と不必要な衝突を避けたほうが生きていく上で有利である、という価値観のもとに生きているのであれば
法律や宗教が
禁止しなくとも「これをしたら他人から報復されるリスクが高過ぎる」と思うことはしない。
従って殺人はよほどのメリットかよほど我慢できない事情がなければおかさない。
これは「人を殺さない理由」と「人を殺しちゃいけない理由」をかねている。
この場合の「殺しちゃいけない理由」は「他人と不必要な衝突を避けたほうが生きていく上で有利である、という最初に前提として自分が選択した価値観に反するから」であるが、
それを本人が他人に説明できるレベルで認識しているかというと、必ずしもそうではない。
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