- 1 名前:名無ぴ [2011/11/04(金) 22:12:41]
- 東日本大震災からまもなく1年・・・
M7を超える余震は2011年7月10日以降発生しておらず、余震域内での有感地震の発生頻度もすっかり低下していた。
そんなある日の午後、茨城県沖と千葉県東方沖の境界付近を震源とする大地震が何の前触れもなく発生。
震源に近い銚子市・神栖市等は震度7の激震に見舞われ、その他関東地方の広範囲で震度5弱〜6強の揺れが観測された。
この地震は、フィリピン海プレート内の深さ約60kmで発生したM7.6のスラブ内地震である。
津波は発生しなかったが、千葉県・茨城県を中心とする各地で家屋倒壊、液状化、土砂崩れ等の被害が発生し数十名の死者を出した。
また、首都圏の広範囲で大規模な停電、断水等のインフラ被害が生じ、交通網も麻痺して多数の帰宅困難者が発生した。
しかし、本当の惨劇はこの後に待っていた・・・
3.11の際、フィリピン海プレートの北端部が断層破壊の南下を食い止める役割を果たしたという説はよく知られている。
今回、その部位で大規模な崩壊が起きたことによって、支えを失ったドミノのように断層破壊の南下が再び進行し始めたのである。
その結果、先ほどの地震から数時間後に、千葉県東方沖の日本海溝寄りを震源として、M8.5の巨大な「津波地震」が発生。
茨城県と千葉県外房の沿岸部には10mを超える大津波が押し寄せた。
この地震による揺れは最大震度3にすぎなかったが、そのことが油断を生じさせ、津波からの避難を遅れさせる結果になった。
先ほどのスラブ内地震による停電が続いていたこともあり、情報伝達の手段を断たれた地域が多かったことも被害を増長させた。
津波は東京湾にも回り込み、0メートル地帯を水没させただけでなく、河川を遡上して都内から埼玉県南部までの広大な地域を浸水させた。
津波来襲の可能性など全く考慮されていなかった東京の都市構造は、この津波で瞬く間に破壊されたのであった
津波が繰り返し押し寄せる中、都内の帰宅困難者たちは恐怖に震えながら停電したビル内で事態の収束を待っていた。
既に大半の地下鉄路線は駅設備・線路ともに浸水しており、復旧の見通しなど全く立たない状況だった。
そんな中、震源域の東側にあたる関東東方沖の太平洋プレート内では恐ろしい事態が発生していた。
大地震後の応力変化によって強力な張力が生じ、ついに耐え切れなくなったプレート内で巨大な正断層型の破断が生じたのである。
この地震は南関東のほぼ全域に約10分間にわたる震度5弱〜5強の揺れをもたらし、大規模な液状化と更なる巨大津波を引き起こした。
石油コンビナートでは側方流動によってタンクが次々と倒壊し、大火災が発生し東京湾は火の海となった。
空港も使用不可能となったことにより、外部から首都圏へのアクセス手段はすべて断たれ救援は非常に困難となった。
あまりの被害の甚大さと今後の誘発地震のリスクにより、その後首都圏の都市機能が復旧されることはなかった。
そして3ヶ月後に日本は財政破綻し、先進国としての地位を失ったという
- 2 名前:名無ぴ [2011/11/04(金) 23:03:56]
- おそろしいのう
- 3 名前:名無ぴ [2011/11/04(金) 23:31:55]
- 一体どこの誰の文章だ
- 4 名前:名無ぴ [2011/11/04(金) 23:55:37]
- >>1 とは関係ないけどこれ貼っとく
ヤフー知恵袋の地震予知の質問が怖すぎると話題に : 【2ch】コピペ情報局
http://news.2chblog.jp/archives/51651751.html
- 5 名前:名無ぴ [2011/11/05(土) 01:21:14]
- それよりロト6の番号を予知してくれ
- 6 名前:名無ぴ [2011/11/05(土) 02:46:24]
- そーだそーだーくりーむそーだ
- 7 名前:名無ぴ [2011/11/05(土) 03:00:18]
- ぜんぜんまもなく一年じゃないじゃん
- 8 名前:名無ぴ [2011/11/05(土) 10:06:44]
- 競馬予想当てるのも難しいのに地震予知なぞ当たるワケないだろ
- 9 名前:名無ぴ [2011/11/05(土) 12:10:44]
- もし千葉に大地震がきたら生き残れる気がしない
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